ミドルエイジのスキル

ブラック企業に勤務している50歳を迎えたおっさんが、会社に頼らずに生きていけるよう悪あがきをしまくる雑記ブログ。そのまま定年までなんてイヤだ。

あの頃。人生で最悪の出会いに気づいていない20代の若者だった…。

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アメリカのどこか。


皆さんお疲れさま。NotRealMoneyです。

フリーター生活でこの先の人生を迷いに迷っていたあの頃。絶望感も拭うことが出来ず、不安の中で生活をしていました。

ただ生きていただけかもしれない。

ダブルワークの生活は3年くらい続きましたが、勤めていた近所のファミレスが閉店することになり仕事はパン屋さんだけになりました。パン屋さんは人手不足で結局朝7時から夜21時くらいまでのブラックなシフトで働くことになりました。


今では考えられない勤務ですが、当時は当たり前のように感じていました。
疑うことも知りませんでしたね。

当時のパン業界は独特で、修行してある程度慣れてきたら次のパン屋を探して修行をすることを繰り返す人が多い世界でした。最終的に独立してお店を持つためです。今考えると成功している人が多いかもしれません。コロナ禍でもいまだに個人店からいくつも年賀状が届いています。


さて、そのパン屋で運命を変える出会いがありました。「J」との出会いです。僕よりも5歳年上のフリーターでした。お金を貯めてアメリカに行くという目標を語っていましたが、当時はそんな人ばかりいました笑。


ある日、Jに「アメリカに旅をしに行かないか?」と誘われたのです。
僕はそれまでの人生に疲弊していたので、チャンスだと思いその話に飛びつきました。どういうわけか涙が止まりませんでした。ようやく救われた気がしたのかもしれません。


アメリカ。想像もつかない世界です。ワクワクが止まらず期待値が最高潮でした!

旅先でのプランを練るために、出発の1ヶ月前にJは仕事を休職しました。
「1ヶ月も前に準備するの?」と尋ねましたが、「最高の旅にしたい」とのこと。

彼はロスに留学経験があり、英語も堪能だったのでナビゲートは全て任せようと。

僕はというと、Jに促されるままに旅行保険に入り、国際免許(一時的なヤツ)を取得したりしながら勤務を続けていました。
グアム以外国外に出たことがなかった僕はワクワクが止まりませんでしたが、次第にJとの連絡が途絶えがちになりそれは不安に変わってしまいました。

周りの人たちも「彼と一緒で大丈夫?」と声をかけてくれましたが、支払いも終わっていたので引くに引けない状況になっていました。

当時は携帯電話が出始めの頃で、Jも持ってはいましたが汚れないようにラップにくるんで使っていました…。

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